無我
仏教徒の端くれとして、菩薩に少しでも近づきたいと思っている。
なんなら、あわよくば出家して、
葬式仏教僧侶として読経して稼ぎたいと思っている。
自分は思考の奴隷だ、というふうに思えるようになってくるし、
一切皆苦って発想も理解できるし、
悟りに至るプロセスを提示してくれてて、
とにかく自分なくしを、
というより自我という幻想を手放したいって気持ちが最近結構、ある。
単に、意識の変性を経験したい。
二元的価値観から逸脱した時に世界をどう認識いや世界とどう一体化してるのか。
特に他者に対しネガティヴな反応をしてしまう度に、
自我つえーよ
って思ってるけど、
反応ってのオートメーションだから、
習慣化された思考行動を壊すには
それなりに脳が嫌がることをしなきゃいけないってことで、
瞑想
瞑想
瞑想
瞑想してみりゃいいんだけど、
こんなにも疲れさせてくれる俗世から、
超俗してツラトゥストゥラになるなんて、
想像するだけでもやっぱり疲れちゃうのさ。
喧騒たる俗世を、
人はどういうモチベーションで乗りこなしているのか。
それは蓄財と散財と生殖と幻想でなんとかなるもんにゃろか。
蓄財とか散財とか生殖とか、から逃亡するための、
てか満足いってない現状をなだめるための、
無我なりてー
って現れの気もすっけどね。
自分をより確かな存在にするために、
どんな対象であっても比較してしまう癖が嫌だから、
自分なくしたいんやってなってたら、
そりゃ本末転倒だわさー。
いやそんなことないわー。
これでええわー。
一人称ぼく
って言ったりするのを
ぼさつ
って言うことにするのがええわー。
と、BOSATSUは言いました。
この生が文学でありますように
もう一年無職だし情熱も下半身もそんなにないし、
かといって不感症というほどでもない。
そろそろ働いて社会とのつながりを感じたいと思うけど、
いま生かされている以上、人並みとまではいかないが、
多少は感じることはできている。ただロマンスは足りない。
こうした状況に甘んじているのは、
きっと自分がそういう文学でありたいと願っているからだと気付いた。
ダサさの極みを承知の上で、好きな小説は「ライ麦」と宣言するし、
きっと真面目すぎてストレス過剰だった自分を変えた一冊だと思ってる。
鬱屈した思いがわかりやすくレジスタンスな行動にあらわれてる、
そのホールデンが痛快無比だった。
真面目はやめようそして座右の銘は「適当」(となりの山田くん)
反抗を試みる人は多いが、ポスト冷戦の今、
それが広く大衆に認められうるのは、
「逆境からの成功」という物語のみ。
学友に「お前終わってんなぁ」と言ってくれた男がいた。
氏は貧困家庭で苦労していたため、稼ぐというモチベが高かった。
軽音サークルでパンクは形じゃなくてハートなんだよ的なオリジナル書いたり、
銀杏演奏したりしてた、わりとカースト上層で大手商社おめ。
ひがみでなく是即ち「逆境からの成功」譚。
そういうのではなく。
右よりも左に惹かれるのは臆面もなく理想論を語り続けるからじゃなくて、
何よりもベースにレジスタンスがあるから。
アート界隈にもいっぱいおるやろけど、
アートの人じゃないからなんか馴染まない。
でも理解されやすい反抗の形じゃなくていいから、
ささやかな反抗心は持っておきたい。
そんな思いがもたらしたこの生活に愛着がないわけがない。
反ポピュリズム。
焦燥感を抑えるために自己正当化の物語をどう構築するかが大事で、
自分の生がささやかな反抗の物語として語られることを望んでいるから、
いまはこうして税金滞納してビットコインで負けているしこれからもそう。
大学一二年生の頃の或る覚書
ツッコミは瞬発力命というのは漫才だけつまりテンポの早い会話では瞬発力大事いかに突っ込むかでボケに変えられる難しいボケ=ベタからどれだけ外れてるかによる に対する対処力が腕ツッコミちがい つまりワードチョイスミス ツッコミの前提は<なるほど>客との共感 ゆえに常識人がやることTNさんは瞬発力ないが対処力がすごいのだろうかYRは<言ってるだけ>だからおもんないのだろうかふたりは対極にあるのでは楽しげにツッコまなきゃ冷たいツッコミは使いどころ選ぶ今まで冷た過ぎた。話したら自分で笑うTJさんイイ笑の基本三原則とはうんうんなるほどなにがおこるんやろフリ変だななんでやボケなるほどツッコミバンクでいうところのスリーコードツッコんだ!みたいな肩凝るツッコミは漫才だけ!自然に出てまうツッコミが一番 なぜなら合理的常識的なんが安心できるからTNさんは落ち着きと言い自然っぽいから笑やすい日常から漫才なんて疲れるから自然に近づける女の子に対してはつっこまずノルツッコんで笑う客と 多数派勝手に面白いおもて笑う客 少数派実際ぼけてへんくてもつっこめる 現在の空気に対してコメント とか説明しなくてもいいボケ ボケは相手に理解できへんと意味がない。必ずツッコんでくれる人がいない限りは 説明し過ぎ決めようとしすぎ ただ滑ったときのフォローは必ず決める日常では必要最低限のツッコミでOK 執拗につっこみすぎないボケがわからないか受けなかった場合に説明するツッコミは会話の範疇を超えず、相手のペースに合わせること
(人名以外原文ママ)
自然なコミュニケーションというものに
苦手意識(再燃中)を持っていた中で大学は
関西に飛び込んだのが災い、
その会話の早さについていけず、
加えて笑いを(建前上は)評価軸とした上に人があるサークルの最右翼に
入ってしまい、自分を棚に上げ周りに批判的評価を下しながら
いろいろ考えて書き溜めたものの一つ。
で結局、さんまの
「ツッコミはな、見てる人がそう思う0.5秒前に入れんねん」
というツッコミ論に得心・ツッコミの基礎なのだと思う俺確か二十歳そこそこ・まだ童貞。
不幸になる権利
「つまりきみは」とムスタファ・モンドが言う。「不幸になる権利を要求しているんだね」
「ええ、それでいいですよ」と野人が喧嘩腰で言った。「僕は不幸になる権利を要求する」
(すばらしい新世界〔新訳版〕より)